津古2号墳問題 ― 2022/12/04
11月1日に桂川町の王塚古墳を見て以来、すっかり装飾古墳に嵌まってしまったが、実は自らの足元にとんでもない古墳がある。
うちの近所(小郡市津古)にある津古古墳群だ。
小郡市埋蔵文化財調査センター編『古墳の黎明――津古古墳群とその周辺』によると、次の順に築造されたと考えられる。
いずれも前方後円墳である。
津古2号墳→津古生掛古墳→津古1号墳→三国の鼻1号墳
(3世紀中頃) (3世紀後半) (4世紀中頃)
3世紀中頃の前方後円墳?
早い。
早過ぎるのだ。
一般に3世紀は弥生時代、北部九州は邪馬台国・卑弥呼の時代だ。
その頃、ヤマト王権では前方後円墳が造られ始め、4世紀にヤマトの力が全国に波及するに伴って、前方後円墳も全国に広がるのだ。
なのに、3世紀中頃に、今でいう福岡県のど真ん中にある小郡市に前方後円墳が造られ始めるとは、ちょっと考え難い。
この謎に答えてくれるものを捜さなければ!
うちの近所(小郡市津古)にある津古古墳群だ。
小郡市埋蔵文化財調査センター編『古墳の黎明――津古古墳群とその周辺』によると、次の順に築造されたと考えられる。
いずれも前方後円墳である。
津古2号墳→津古生掛古墳→津古1号墳→三国の鼻1号墳
(3世紀中頃) (3世紀後半) (4世紀中頃)
3世紀中頃の前方後円墳?
早い。
早過ぎるのだ。
一般に3世紀は弥生時代、北部九州は邪馬台国・卑弥呼の時代だ。
その頃、ヤマト王権では前方後円墳が造られ始め、4世紀にヤマトの力が全国に波及するに伴って、前方後円墳も全国に広がるのだ。
なのに、3世紀中頃に、今でいう福岡県のど真ん中にある小郡市に前方後円墳が造られ始めるとは、ちょっと考え難い。
この謎に答えてくれるものを捜さなければ!
トンデモ像への答えは? ― 2022/12/04
担当が語るポンペイ展👩🦱
— 九州国立博物館 (@kyuhaku_koho) December 2, 2022
解放奴隷のヘルマ柱。下方についているのは??と思う方も多いのでは。ヘルマはファルス(男根)の神ヘルメスに由来し、生殖力・運に関連付けて建てられたヘルマ柱をまねたのがこの像。ローマでは、ファルス形の製品を健康や繁栄、魔除けのお守りとして身につけたりもしました。 pic.twitter.com/duYLmlemQs
ちょうどひと月前の11月4日付で疑問を呈していたトンデモ像について、九博の担当者が答えてくれた。
男根崇拝ということね?
もちろん西洋の男性ブロンズ像には決まってイチモツが付いているのは誰しも知っているだろうが、ここまで局部を強調したものは見たことがなく皆さんびっくりして、その意図をいぶかったことだろう。
前回書いたように日本も縄文時代は性器崇拝があったようだが、これと同時代の弥生時代にはもう見当たらない。
※ここは訂正しなければならない。 森浩一『記紀の考古学』p.206によると、栃木県の鶏塚古墳では陰部をあらわにした女性や男子の生殖器の埴輪が出ているという。
ポンペイ展も今日で終わり。
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