これが初期の前方後円墳だ、石塚山古墳④2022/12/22

これでは見せられる状態ではないね。

ロープで囲ってあったのも納得。

~九州歴史資料館「筑紫・豊前の四つの窓」パネル展示から~

三角縁神獣鏡2022/12/22

九州歴史資料館に行って、祇園山古墳のことを尋ねたがあまり収穫がなかったことは前々回書いた。

帰ってから、しまった!せめて図録の三角縁神獣鏡(高良大社蔵)を写してくればよかったと思った。

まあ、よい。
卑弥呼が魏からもらった「銅鏡百枚」と三角縁神獣鏡とは、関係がないのは今やはっきりしている。

いまだに固執する人たち(つまり邪馬台国畿内説論者たち)はいる。
だが、①中国では三角縁神獣鏡は一面も出土していない、つまり日本製である②邪馬台国の時代である3世紀の墳墓からは一面も出土していないのだ。

たとえば、写真の三角縁神獣鏡を見てほしい。
現在の九州歴史資料館の常設展示である。
「古墳時代(3~4世紀)」と書いてある。
これは事実に反する。

事実に反するが、邪馬台国畿内説論者に気をつかって、こう書かざるを得ないのだ。
若八幡宮古墳は4世紀後半の古墳である。
https://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/item_id:101021

森浩一さんは『語っておきたい古代史』(新潮文庫、2001年)の中で、学者の実名まで挙げて手厳しく批判している。

「(森さんは)昭和三十七年の『古代史講座』で、どうも大先生方が言っているのは違うということをいい出したわけです。これは、何も無理に違う意見をいったのではないのです。中国では出ないという事実と日本だけにある事実、さらにその日本でも魏と同じ時代のものではない事実を指摘したまでのことです。
 そのあたりで先に仮説、試案を出していた学者、例えば小林行雄さんが、意見を修正されたらよかったのですが、そのまま押しとおしてこられたのです。そうして魏鏡説を補強するため、卑弥呼の使いにわざわざ与えるために魏でつくった鏡だ。だから本場の中国には一枚も残っていないというように説を変更された。今でもよく本に書いてあります。この説は考古学の証明の限度を超えているわけです。この説は三角縁神獣鏡特注説というのですが、私は今でもそんなばかなことをよく考えたなと思っています」