誰がシナリオを描いたのか2017/08/27

 問題は、誰が与次郎移転というトンでもないシナリオを描いたのか、ということだ。
 これが実は全く分かっていない。

 前段として鹿児島県庁舎移転があるのは間違いない。

 平成元年(1989)2月、金丸三郎、鎌田要人に続き、三代続けて自治事務次官から、土屋佳照氏が鹿児島県知事に当選した。
 翌3月には県議会に県庁舎整備問題特別委員会が設置され、翌2年3月、同特別委は鹿児島市鴨池新町への県庁舎移転を可決する。
 同4年(1992)8月、南日本新聞社の目高社長(仮名)は次期経営三カ年計画で初めて、新社屋建設を「隣接地(つまり鹿児島税務署)を含めた現在地か新県庁近隣にしぼって検討する」と発表した。翌9月には与次郎一丁目の用地を取得する方針を経営協議会で明らかにした。

 県庁舎建設に当たる企業体の中心は大林組。5年9月に着工し、8年6月に完成する。
 総事業費六百四十七億円。都道府県庁舎では、新宿にひときわ高く聳える、あの東京都庁舎に次ぐ予算だという。

 9年(1997)2月、南日本新聞は新本社建設を大林組に発注する。同社は旧社屋も手がけ、南日本とは深い関係がある。

 とはいえ、二百億円規模の大事業をやるのに、コンペをやらなかった。
 同じ地方マスコミでも、二〇一五年、広島テレビ放送は移転新築する新社屋の設計・施工をコンペで決定している。

 南日本が初めから選択の余地なく大林組に決定していたのは確かだ。

 ゼネコンというものは、どうもベールに包まれている。
 新書で「ゼネコン」なんて、ありそうなのに、ない。出版社の人に教えてあげたい。
 ミステリ小説で、池井戸潤『鉄の骨』、相場英雄『みちのく麺食い記者』シリーズ第一弾などを読んだが、いまひとつ実態は分からない。

 日本社会ではタブーなのか。
 だから、めったなことを言って消されては困るので、これはあくまで、ただの冗談だが、新県庁舎を手がけることになったO社が、目高社長に「南日本新聞もこの際、移転してはどうですか」と持ちかけたのではないか。
 なーんて、妄想したりするのだ。
 権威に弱い新聞社。県庁が移転するといえば、浮足立って付いていく。

 南日本はなんと新社屋移転の一切の事務をO社に丸投げしている。
 請負契約は注文者(新聞社)と請負人(O社)との双務契約だ。が、請負人に注文内容も決めさせるも同然。費用のフリーハンドを与えたようなものだ。
 南日本は経営の素人集団。赤子の手を捻るようなものだ。建設費が当初の予定より高騰しても取締役は文句を言わない。見事にカモにされたのではないか。

 大型工事の請負契約でリベートなんてものがあるのかどうか全く知らないので口を慎まなければならないが、二百億円の事業なら1%のリベートでも2億円である。これももちろん、単なる例えばの話である。

 ゼネコンに詳しい方がいれば、教えてもらいたい。

※前回で連載完結のはずが、追加しました。今後も思いついたら、あるかもしれません。

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