大野城見学のキモ ― 2023/03/01
大野城に行ったのは昨年4月である。
なぜか記事にはしていなかったようだ。
今あらためて「焼米ヶ原」の地名の由来を調べてみたら、ここが宇美町だと知って驚いた。
つまり大野城跡は太宰府市、大野城市、宇美町の2市1町にまたがっているのだ。
これが大野城跡(四王寺山)の見物を難しいものにしている。
大野城に関するパンフ・資料は太宰府市が何種類も出しており、これを手にする人が多いと思う。
ところが、太宰府市の資料には焼米ヶ原駐車場が載っていないのだ。
私は以前訪ねて閉園日だった「四王寺県民の森」を再訪しようとして、途中たまたま見つけたのが焼米ヶ原駐車場だった。
四王寺山の道はどこも狭くくねくねとして、もちろん車を停める所などない。
ところが、この焼米ヶ原は十数台も停められるスペースがある。
ここに停めて歩いたら驚いた。
素晴らしい土塁はある。
絶景である。(次の記事の写真を見てください)
礎石がある。
ここには10棟の礎石建物跡があり、うち1棟の建物周辺から黒く炭化した米がたくさん採集されたことから「焼米ヶ原」の名がついたそうだ。
さらに太宰府口城門跡や水ノ手口石垣もすぐ近くにある。
つまりここで大野城のエッセンスはすべて見られると言っても過言ではない。
それを案内しないなんて、行政の縄張り意識には困ったものである。
なぜか記事にはしていなかったようだ。
今あらためて「焼米ヶ原」の地名の由来を調べてみたら、ここが宇美町だと知って驚いた。
つまり大野城跡は太宰府市、大野城市、宇美町の2市1町にまたがっているのだ。
これが大野城跡(四王寺山)の見物を難しいものにしている。
大野城に関するパンフ・資料は太宰府市が何種類も出しており、これを手にする人が多いと思う。
ところが、太宰府市の資料には焼米ヶ原駐車場が載っていないのだ。
私は以前訪ねて閉園日だった「四王寺県民の森」を再訪しようとして、途中たまたま見つけたのが焼米ヶ原駐車場だった。
四王寺山の道はどこも狭くくねくねとして、もちろん車を停める所などない。
ところが、この焼米ヶ原は十数台も停められるスペースがある。
ここに停めて歩いたら驚いた。
素晴らしい土塁はある。
絶景である。(次の記事の写真を見てください)
礎石がある。
ここには10棟の礎石建物跡があり、うち1棟の建物周辺から黒く炭化した米がたくさん採集されたことから「焼米ヶ原」の名がついたそうだ。
さらに太宰府口城門跡や水ノ手口石垣もすぐ近くにある。
つまりここで大野城のエッセンスはすべて見られると言っても過言ではない。
それを案内しないなんて、行政の縄張り意識には困ったものである。
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