「城山崩壊」は7・10豪雨がテーマ ― 2019/07/03
今、鹿児島が豪雨で大変なことになっている。
よく「8・6水害」が引き合いに出されるが、私にとっての豪雨災害は昭和61(1986)年7月10日の「7・10」だ。
28歳の社会部記者だった。現場に張り付いた。
同じ日、池田製菓(イケダパン)という県内有数の企業が倒産する、とんでもない一日だった。
このことを小説「城山崩壊」にした。
幻冬舎の常務には褒めてもらったが、出版してはくれなかった。
それで電子書籍にした。
本にしてくれていれば、今回の豪雨にちょっぴりでも教訓を生かせたのではないか、と残念だ。
よく「8・6水害」が引き合いに出されるが、私にとっての豪雨災害は昭和61(1986)年7月10日の「7・10」だ。
28歳の社会部記者だった。現場に張り付いた。
同じ日、池田製菓(イケダパン)という県内有数の企業が倒産する、とんでもない一日だった。
このことを小説「城山崩壊」にした。
幻冬舎の常務には褒めてもらったが、出版してはくれなかった。
それで電子書籍にした。
本にしてくれていれば、今回の豪雨にちょっぴりでも教訓を生かせたのではないか、と残念だ。
豪雨、埋立地の会社は大丈夫か? ― 2019/07/02
鹿児島市が豪雨に見舞われている。
与次郎ヶ浜という埋立地に立つ、かつて勤めた新聞社は大丈夫か。
市役所前から移転しなければよかったのに。
何より社員たちが今、痛切に感じているだろう。
何しろ災害時に出勤さえできない新聞社なんて、悪い冗談でしかない。
↓過去記事「台風で周囲が水没した時の話」
http://restart.asablo.jp/blog/2017/08/26/8657904
与次郎ヶ浜という埋立地に立つ、かつて勤めた新聞社は大丈夫か。
市役所前から移転しなければよかったのに。
何より社員たちが今、痛切に感じているだろう。
何しろ災害時に出勤さえできない新聞社なんて、悪い冗談でしかない。
↓過去記事「台風で周囲が水没した時の話」
http://restart.asablo.jp/blog/2017/08/26/8657904
新聞記者の不勉強 ― 2019/06/20
新聞記者は不勉強だ。これは断言できる。
「私は本は読まない」とぬけぬけと恥ずかしげもなく言う者、本棚さえ持っていない者もいた。
こんな記者が論説委員や編集委員をやっている。
新聞記事は誰にでも書けるからだ。
読まされる読者こそ迷惑だ。
私の本に対して、「あの戦争がなんだったのか、本質を問い直してこそ、林芙美子が再評価されるのではないか」(4/21付南日本新聞)と偉そうに断罪した記者の顔が見たい。
お前はどれほど戦争について勉強しているのか。
自虐史観を鵜呑みにしているだけだろうが。
「私は本は読まない」とぬけぬけと恥ずかしげもなく言う者、本棚さえ持っていない者もいた。
こんな記者が論説委員や編集委員をやっている。
新聞記事は誰にでも書けるからだ。
読まされる読者こそ迷惑だ。
私の本に対して、「あの戦争がなんだったのか、本質を問い直してこそ、林芙美子が再評価されるのではないか」(4/21付南日本新聞)と偉そうに断罪した記者の顔が見たい。
お前はどれほど戦争について勉強しているのか。
自虐史観を鵜呑みにしているだけだろうが。
南日本出版文化賞の応募結果は? ― 2019/05/17
第45回南日本出版文化賞は、福田忠弘著「海耕記 原耕が鰹群(なぐら)に翔けた夢」(筑波書房、四六判、288ページ、3024円)に決まったそうだ。
残念ながら、拙著「林芙美子が見た大東亜戦争」は受賞を逃しましたが、想定内(笑)。
自虐史観に毒された地方新聞社が、南京大虐殺を否定する本に賞を与えるはずがありません。
分かっていながら応募したのは、私の意趣返し。
そもそも1月の刊行時にはすぐ文化部長(かつての部下)宛てに本を送っていた。
私としては別に書評まで望んだわけではなく、本が出た事実を知らせるだけの短信で全然かまわないという気持ちだった。
ところが、それすらなく完全に無視されたので、出版社にお願いして一面に二度も広告を出してもらい、注意を喚起した(笑)。
それでも一行も出ない。
そこで、ちょうどその時期に南日本出版文化賞の募集要項を知り、応募して〝揺さぶり〟をかけた次第。
社外の選考委員だから、新聞社の意向とかかわりなく間違って選考を通るかもしれない。
3/18に送った(4/1必着)。
すると、案の定、慌てたらしい。
既報のように、4/21付読書面にレビューが掲載された。
その内容は選考委員の心証をあらかじめ悪くしようという、姑息なものだった。
そうして落選への既定路線を敷いておき、その通りになった次第だ。
地方新聞の闇はそれくらい深い。
選考委員は、田村省三(尚古集成館前館長)、鮫島吉廣(鹿児島大学客員教授)、村瀬士朗(鹿児島国際大学教授)の3氏。
鮫島さんは枕崎支局時代、明治蔵におられたので、本当によくお目にかかり取材した相手だ。
彼に消息を伝えただけでも応募の意味はある。
選考経過、講評は6月上旬に掲載されるというから楽しみだ。
私の本を全く無視して、一言も触れなければ、それはそれで不自然で問題だろう。
※これについては後日談がある。
応募した4冊は、落選の場合、新聞社に引き取りに行くか、着払いでの宅配をするとのことだったので、宅配で返してもらった。
戻ってきた4冊を見て驚いた。
全く読んだ様子のない、まっさらなきれいさだったのだ。
読んでいない証拠には、本に挟まっている「補充カード」が抜かれもせず、ぴったりそのままの状態だったことで明確だ。
これはどういうことだろう。
そもそも選考委員に送ってさえいないという疑いがある。
もしそうなら、大変な問題である。
残念ながら、拙著「林芙美子が見た大東亜戦争」は受賞を逃しましたが、想定内(笑)。
自虐史観に毒された地方新聞社が、南京大虐殺を否定する本に賞を与えるはずがありません。
分かっていながら応募したのは、私の意趣返し。
そもそも1月の刊行時にはすぐ文化部長(かつての部下)宛てに本を送っていた。
私としては別に書評まで望んだわけではなく、本が出た事実を知らせるだけの短信で全然かまわないという気持ちだった。
ところが、それすらなく完全に無視されたので、出版社にお願いして一面に二度も広告を出してもらい、注意を喚起した(笑)。
それでも一行も出ない。
そこで、ちょうどその時期に南日本出版文化賞の募集要項を知り、応募して〝揺さぶり〟をかけた次第。
社外の選考委員だから、新聞社の意向とかかわりなく間違って選考を通るかもしれない。
3/18に送った(4/1必着)。
すると、案の定、慌てたらしい。
既報のように、4/21付読書面にレビューが掲載された。
その内容は選考委員の心証をあらかじめ悪くしようという、姑息なものだった。
そうして落選への既定路線を敷いておき、その通りになった次第だ。
地方新聞の闇はそれくらい深い。
選考委員は、田村省三(尚古集成館前館長)、鮫島吉廣(鹿児島大学客員教授)、村瀬士朗(鹿児島国際大学教授)の3氏。
鮫島さんは枕崎支局時代、明治蔵におられたので、本当によくお目にかかり取材した相手だ。
彼に消息を伝えただけでも応募の意味はある。
選考経過、講評は6月上旬に掲載されるというから楽しみだ。
私の本を全く無視して、一言も触れなければ、それはそれで不自然で問題だろう。
※これについては後日談がある。
応募した4冊は、落選の場合、新聞社に引き取りに行くか、着払いでの宅配をするとのことだったので、宅配で返してもらった。
戻ってきた4冊を見て驚いた。
全く読んだ様子のない、まっさらなきれいさだったのだ。
読んでいない証拠には、本に挟まっている「補充カード」が抜かれもせず、ぴったりそのままの状態だったことで明確だ。
これはどういうことだろう。
そもそも選考委員に送ってさえいないという疑いがある。
もしそうなら、大変な問題である。
「南風録」からちょっぴり愛を感じた ― 2019/04/29
元いた会社に〝恩返し〟したい ― 2019/04/23
スポーツの世界でよく〝恩返し〟という言葉を聞く。
大相撲では、いつも稽古をつけてもらった同門の先輩力士に、本場所で勝つことを〝恩返し〟という。
プロ野球などチームスポーツでは、ある球団をいろんな事情(トレードや解雇=戦力外)で去った選手が、元いた球団相手に活躍(決勝打を打ったり、ピッチャーなら勝利したり)すると〝恩返し〟という。
私もこの言葉の正しい意味で、元いた新聞社に〝恩返し〟したい。
今年1月、本格的な商業出版を果たした。
退職して10年余り、ようやく〝恩返し〟のチャンスが訪れたのである。
出版社を通じて本を新聞社の文化部長宛て送った。
しかし、世の中、去る者は追わず、で、去った者に対して組織は冷たい。
全くの無視である。
私としては「書評」など大きく扱ってほしいなどと望んではいない。「短信」で出版の事実を知らせてくれるだけでよかったのに。
それさえ、なしのつぶてだ。
記事で出してくれないなら、広告しかない。
出版社のご厚意で、本の広告を一面に2度も出すことができた。
それで重い腰を上げたのか、一昨日の日曜読書面にブックレビューが出た。
ただ、既報のように嫌みったらしい紹介の仕方だった。
これではまだ〝恩返し〟は足りない。
もう一つ〝山場〟を考えている。
その結果が出るのは来月だ。
大相撲では、いつも稽古をつけてもらった同門の先輩力士に、本場所で勝つことを〝恩返し〟という。
プロ野球などチームスポーツでは、ある球団をいろんな事情(トレードや解雇=戦力外)で去った選手が、元いた球団相手に活躍(決勝打を打ったり、ピッチャーなら勝利したり)すると〝恩返し〟という。
私もこの言葉の正しい意味で、元いた新聞社に〝恩返し〟したい。
今年1月、本格的な商業出版を果たした。
退職して10年余り、ようやく〝恩返し〟のチャンスが訪れたのである。
出版社を通じて本を新聞社の文化部長宛て送った。
しかし、世の中、去る者は追わず、で、去った者に対して組織は冷たい。
全くの無視である。
私としては「書評」など大きく扱ってほしいなどと望んではいない。「短信」で出版の事実を知らせてくれるだけでよかったのに。
それさえ、なしのつぶてだ。
記事で出してくれないなら、広告しかない。
出版社のご厚意で、本の広告を一面に2度も出すことができた。
それで重い腰を上げたのか、一昨日の日曜読書面にブックレビューが出た。
ただ、既報のように嫌みったらしい紹介の仕方だった。
これではまだ〝恩返し〟は足りない。
もう一つ〝山場〟を考えている。
その結果が出るのは来月だ。
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