1980年、31歳の橋本治にインタビューした2019/01/29

橋本治氏が亡くなった。70歳だったという。

私は新著『林芙美子が見た大東亜戦争』の著者紹介で、大学時代、『ぴあ』でアルバイトし、サブカル系の人たちに多数インタビューした、と誇らしげに(?)書いているが、そのうちの一人が橋本治氏だ。

手元に当時の取材ノートがあって、橋本氏が話したことをそのまま書き取っているので紹介したい。

1980年3月14日。
橋本氏は31歳。私は22歳だった。
「世界の構造と言語の発生について」と題した講演会を翌15日に控えた日だったようだ。

世界っていうのはね、いままで結局いろんな風に論じられてきたけども、それは世界の実相を論じるというのではなくてね、論じるために世界の形を始めから設定して論ずるんだというのがぼくの考えなんですね。だから論じられた世界っていうのはいくら完全に論じられたみたいな風になってても、必ず完全に論じられてないし、完全に論じられたみたいな形しててもそれは世界じゃないわけですね。それは論じやすいようにあらかじめ整頓形になった世界みたいなもので、ハンバーグステーキみたいな形が肉だっていうけど、俺は何で10年前何かあってその後のことばっかりしつこくやってんのかなあ、ということを考えたら、結局(そういう)他人というものをポンとおけば自分が見えてくるかもしれないなあてんでやってたんじゃないかな。

自分がわからないってところがあるわけですよね。自分がわからないんだったら、じゃ他人というものを置いてみればわかるだろうてところがあったわけ。他人をみきわめてしまえば、そんなことから逆に自分の姿が出てくるかもわからないてところがあったんですよね。白があれば黒がわかるとか。一番過激な他人ていうのは何だったか、榊原玲奈(「桃尻娘」の主人公)だった。

言語っていうのはそもそも概念規定をするために発明されたものだけれども、言語っていうものはそっから逆に言語によって概念規定されてしまうので、概念というのはいつも言語がくっつくとこぼれおちてしまうというところがある。だから哲学ってのは言語をもとにした哲学だからつねに混沌とした状態があってそれに言語というものが与えられると言語と混沌としたものとの間で整然とした形というものができ上がっちゃうわけですよね。だから言語というものはもっと周辺部のあいまいなものがあるんだけれども、そのあいまいであったというのとこういう形をしているものというのはだいたい同じであるってことでやってて、だいたい同じであるってことをずっとくり返していくと全然ちがうものができ上がっちゃうていうのは、1年を365日にしとくけれども、本当は何年かに一辺はうるう年をつくらなくちゃならないという発想がでてくる。

※「10年前何かあって」とは、もちろん70年安保のこと。