応神天皇が招いた裁縫技術2023/02/07

新原奴山古墳群には案内所があって、私は別にガイドは要らなかったのだが(笑)、初老の男性がすぐにやって来た。

その人は目の前の古墳よりも、近くにある縫殿神社について教えたくて仕方なかったようだ。

話の中に「応神天皇」が出てきたのが気を引いた。
神功皇后の子であり、福岡の宇美町で生まれたとされる(宇美八幡宮がある)。
(しかし加耶の平定から帰ってきて内陸の宇美町でお産するのでは遠すぎる。糸島の宇美八幡宮が実際の出生地だろうと思う。森浩一さんも糸島説だ)

縫殿神社の鳥居は元は古墳(後で調べると22号墳らしい)にもあったが、世界遺産登録に当たって撤去したという話だった。

カメリアステージ歴史資料館の説明(写真)によると、奴山正園古墳から鉄針(鉄製縫針)36本以上が出土したという。
5世紀前半の古墳というのも応神天皇の治世にぴったり重なる。

日本書紀で補うと、こういうことだ。

応神天皇は治世37年2月、阿知使主(あちのおみ)らを呉に遣わして縫工女(きぬぬいめ)を求めさせた。
この呉を魏呉蜀三国時代の呉と考えると時代が合わないので注意が必要だ。
日本人は中国の江南地方を呉と呼んでいたのだ。

4年後、阿知使主は兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)の4人を連れ帰って筑紫に到着したところ、宗像大神が工女を求めたため兄媛を奉ったという。

冑に羽根飾り2023/02/07

古代日本人は頭に鳥の羽を飾る習慣があったのか⁉

昨年12/13付で、糸島市の上鑵子(じょうかんす)遺跡から出た「人物線刻板」を紹介した。

「15センチほどの板に刻まれたシャーマンの姿。その顔には刺青を施し、頭には羽飾りをつけています」

それは弥生時代だったが、今度は古墳時代だ。

福津市の勝浦井ノ浦古墳から出た「三尾鉄」。

鳥の羽根を結び付けて冑(かぶと)の頂部を飾るための金具だという。
どうして鳥の羽根だと分かったのか❓

疑問は残るが、初めて見た驚きの方が大きい。

福津市のパンフレットによると、勝浦井ノ浦古墳は5世紀中頃に造られた全長70mの前方後円墳。
前方部に初期竪穴系横口式石室があり、その内部前面に赤い塗料が塗られていた。
加耶地域に起源を持つ特色ある石室だという。

やはり九博の加耶展は津屋崎古墳群(新原奴山古墳群を含む全体を言う)を取り上げるべきだった。