神功皇后が目配りした山2023/02/06

神功皇后が新羅征伐の前に、天狗の前身とも言うべき羽白熊鷲を成敗した話は今月1日に二度にわたって書いた。

ちょうど2年前の今日、私は神功皇后ゆかりの目配山に登っていたんだと、Facebookからの知らせで分かった。



日本書紀によると、神功皇后は羽白熊鷲を討つために、香椎宮から松峡宮(まつおのみや)に移った。
そのとき突風が吹いて皇后の御笠が飛ばされたので、人はそこを御笠と名づけた。

旧御笠郡は今の筑紫野市、大野城市、太宰府市に当たる。
郡の式内社は筑紫神社と竈門神社の二つだけだ。
筑紫神社が祀る「筑紫の神」とは羽白熊鷲だという私の仮説には有力な手がかりだ。

神功皇后は御笠の行宮を出て目配山(標高405m)に登って、周囲の情勢に「目を配った」のだろう。

そして羽白熊鷲を討ち果たし、これで心安らかになった、と言われた。
それで、そこを名付けて安(夜須)と言ったという。

夜須町は三輪町と合併して筑前町となり、由緒ある名前は消えた。
しかし、Aコープ夜須店などにその名の片りんを残している。

なお、目配山の麓には神功皇后ゆかりの、日本最古ともいわれる大己貴神社(おおなむち、於保奈牟智、夜須郡唯一の式内社)がある。

羽白熊鷲征伐後、いよいよ新羅出兵となるわけだが、なかなか兵が集まらなかったため、大三輪(おおみわ)の神社を建てて刀や矛を奉ったところ、兵は自然に集まったという、その神社だ。

ところが、筑前町(旧三輪町)弥永にある大己貴神社の祭神は大国主命で、奈良県桜井市三輪の大神(おおみわ)神社の祭神は大物主神だ。

大国主と大物主の違いは難しい問題だ。
別項で考えたい。

スサノオの剣2023/02/06

昨日、福津市の新原・奴山古墳群と、その出土物を展示しているカメリアステージ歴史資料館に行ってきた。
どちらも素晴らしかった。

何から書いていいか分からないくらいだが、日本書紀をぱらぱらしていたら「十握(とつか)の剣」が出てきて、資料館の展示を思い出した。

説明文を見てほしい。

「鉄剣・鉄刀は全長が80cm前後あり、日本書紀の記述にある十握の剣に相当し、宗像君の権威の大きさを表す遺物である」

80cmすなわち十回握った分の長さということだ。

十握の剣は、素戔嗚尊(以下、スサノオ)の剣である。

国生み・神生みの伊弉諾尊(イザナギ)は妻イザナミを亡くした後、3人の子に対して、天照大神は高天原を、月読は青海原の潮流を、スサノオは天下を治めなさいと命じる。

ところがスサノオは泣いてばかりで天下を治めようとしない。

イザナギが理由を尋ねると、スサノオは「私は亡き母について根の国(あの世)に行きたいと思ってただ泣くのです」と答える。母思いで泣かせる。

イザナギが望み通りにしなさいと言うので、スサノオは高天原に行って姉に別れをしたいと言って許される。

天照大神はスサノオが高天原を奪いに来たと疑う。

ここで有名な「誓約」の場面となる。
スサノオは「もし私の生んだのが女だったら、汚い心があると思って下さい。もし男だったら清い心であるとして下さい」と言う。

そこで天照大神がスサノオの十握の剣を三つに折って噛んで吹くと、三柱の女神になった。
次にスサノオが天照大神の勾玉の首飾りを噛んで吹き出すと、五柱の男神となった。

天照大神は「十握の剣はスサノオのものだから、三柱の女神は皆お前の子だ」と言って授けた。
これが筑紫の胸肩君(むなかたのきみ)らがまつる神である、と日本書紀は書く。

新原・奴山古墳群は、沖ノ島祭祀を担い、宗像三女神信仰を高めた豪族、宗像氏の墳墓群とされており、その新原奴山1号墳から十握の剣が出てきたというのは、ちょっと出来過ぎなほど筋の通った話である。

しかし、スサノオの子が女ということは誓約には敗れたことになる。

開き直ったのか、スサノオが高天原でとんでもない乱暴狼藉を働くのはご存じの通りである。

それで天照大神は天の岩屋に閉じこもり、世は闇となる。
神々はその問題を解決すると、スサノオを高天原から追放する。

その後いったんスサノオは新羅の国に行ったという話もある。
https://restart.asablo.jp/blog/2020/02/25/9217555

これで分かるように、神話といっても太古の時代でも何でもなく、すでに鉄剣などの金属器の時代に入っており、新羅(紀元前57年~)も成立しているという、少なくとも弥生時代中期の話なのである。だから決して絵空事ではない。
これは誰も言わない、重要な点である。

そしてスサノオは出雲の国へ降り立ち、奇稲田(くしいなだ)姫を八岐大蛇から救うと夫婦になり、生まれた子が大己貴神(おおあなむちのかみ)なのである。
これで前回にもつながった。

そのあとスサノオは根の国(あの世)に行く。

スサノオの剣②2023/02/06

十握の剣が出た新原奴山1号墳はこれ。

5世紀中ごろに築かれた、全長50mの前方後円墳だが、道路建設のため前方部が削られている。

手前に見える巨石は、石室の天井石を移動したものだ。

新原・奴山古墳群で石室公開へ2023/02/06

新原奴山34号墳は豪雨で斜面が崩落し、保存修理工事中。

それを機に考えたのか、将来的には石室を見学できるようにするという。

3月26日の古墳まつりでは現地説明会をおこない、特別に石室も見学できるというから、興味ある人はぜひ行ってみよう。

このほか、国道沿いでは整備中のスペース(トイレか?)もある。

2017年に「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として世界文化遺産に登録されて6年。
ようやく整備が進もうとしているようだ。

現状でも十分すばらしいが、石室公開やトイレ整備はぜひとも必要であり、楽しみだ。