猿石2023/02/14

Facebookから借りた画像である。(クリックで拡大して見てください)

「猿石」は奈良県明日香村の欽明天皇陵南方の水田から江戸時代に発掘され、今は吉備姫王墓の西側の垣の中にある。

四体の石人像で、左から女と山王権現、法師と男と称されている。
いずれも性器を露わにして、三体は背後に怪獣を表現した二面石である。

松本清張は『火の路』で、ペルシアの影響や、ゾロアスター教に属するものとしているが、荒唐無稽に過ぎる。

それよりは松本清張記念館刊の『「火の路」誕生秘話』に紹介されている諸説が参考になる。

その中ではやはり日本書紀を基にした説が信頼できそうだ。

「怪人説話説」
仁徳65年、飛騨の国に宿儺(すくな)という者がいて、体は一つで二つの顔があった。
つまり、二面石でそれを表現しているというわけだ。
皇命に従わす、人民を略奪するのを楽しみとしていた。
和珥(わに)臣の先祖の難波根子武振熊を遣わして殺したという。

「伎楽仮面説」
推古20年、百済の人ミマシが帰化(渡来)した。
「呉の国に学んだ伎楽の舞ができます」というので、桜井に住まわせて、少年を集めて伎楽の舞を習わせた。
この伎楽の登場人物たちと関連するというのだが、これはよく分からない。

「朝鮮源流説」
推古28年、欽明天皇陵の巡りに土を積み上げて山を造った。
各氏に命じて土の山の上に柱を立てさせたところ、倭漢坂上直(渡来人)の柱がずば抜けて高かったので、大柱の直(あたい)と呼んだ。
確かに石像の顔は日本人には見えない。