百済の竹幕洞祭祀遺跡2023/03/13

さて、「沖ノ島研究の新地平」では、2人の話者が百済の竹幕洞祭祀遺跡(5世紀後半)を取り上げた。

九博「加耶展」の出品目録を見ると、同遺跡からの3点があったので、成果報告会のあと会場に寄った。写真がそれである。

説明にあるように、百済は5世紀、大加耶(4世紀から日本が支配していた任那)に接近した。
それを裏付けるように、竹幕洞祭祀遺跡からは大加耶系(すなわち倭系)の遺物が見つかっている。
同遺跡は海岸の絶壁にあり、航海の安全を祈った沖ノ島の祭祀遺跡とは共通点がある。

しかし百済は日本から大きな影響を受けながらも、面従腹背の気持ちがあったらしい。
同国に近い任那西部の4県を譲ってくれるよう日本にねだり始めるのだ。

日本はなんとこれをOKし、512年、4県を割譲してしまう。
これが外交上の大失敗で、任那(加耶)の滅亡へとつながる。

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