前方後円墳の出現はなぜ同時多発か②2022/12/14

広瀬和雄『前方後円墳国家』が期待外れだったので、再び同じ作者の『前方後円墳の世界』の記述に戻る。

「弥生墳墓の諸要素を統合した墳墓が前方後方墳です。だからこそ、成立の当初から前方後方墳は各地をつらぬく共通性の側面をもっていたのです」
「前方後円形の墳形は吉備・讃岐・播磨・大和などの諸地域、墳丘を飾る葺石は出雲地域、円筒埴輪につながる特殊器台・壺形土器は吉備などの地域、刳り抜き式木棺と竪穴石槨のセットは吉備や畿内などの地域、中国鏡、装身具、鉄製武器などの副葬行為は西日本各地といった具合に」

これらが一斉に花開いたということか。
前方後円形の弥生墳墓って、見てみたいものだ。

ある意味、突然始まった古墳時代。
とはいえ、当時の弥生人たちが「おーい、弥生時代は終わったぞー。次は古墳時代だから、俺たちはもう用無しだ。引き揚げようぜー」なんてはずもないのだが、それを大真面目に書いている地元F大学の教授がいて仰天した。
今年6月の資料だ。

「筑後川北東岸の朝倉地域でも(略)古墳時代の到来とともに台地を降りて平地集落が展開し」
「うきは市周辺でも、弥生時代の終わりに耳納山麓丘陵の防御的なムラに住んでいた人々が、古墳時代の到来とともに丘陵上のムラを捨てて低地に移住し」

こんなのを読まされる方もたまらんなー

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://restart.asablo.jp/blog/2022/12/14/9547938/tb