平原1号墓再考③2022/12/13

伊都国歴史博物館入場時に渡されるパンフに掲載されているのだから、糸島市を代表する遺物なのだろうが、上記のように分かりやすく図示されていないので気づかなかった。

平原遺跡ではなく、上鑵子(じょうかんす)遺跡という所から出た「人物線刻板」である。

「15センチほどの板に刻まれたシャーマンの姿。その顔には刺青を施し、頭には羽飾りをつけています」

羽飾りをつけたシャーマン…。

広瀬和雄氏の文章には「鳥装した司祭」という言葉が出てくる。

これで11/22付の本ブログ「鳥人は実在したのか」につながった。
羽白熊鷲は祭祀も行う豪族だったに違いない。

「鳥の顔の人」が描かれていたのは、岡山県の新庄尾上遺跡から出土した弥生土器だ。

こうした弥生時代の土器絵画について広瀬氏はこう書いている。

「〈舟で運ばれてきたカミが、高床倉庫に安置された神像に憑依し――その段階で高床倉庫は神殿に転化する――鳥装した司祭によって、予祝祭や収穫祭のような祭祀儀礼が執行された〉というふうな神話風景が土器絵画のモチーフだと、夢想しています。もしそうだとすれば、高床式の独立棟持柱建物はカミの住まいとしての神殿になりそうです」

これが平原一号墓=弥生神殿との論拠である。

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