人に烙印を押したがる奴2026/07/02


人の噂も同じ。
だから必ず発信する側に回って、「あの人ってこういう人だよね!」と早めに人に烙印を押す奴がいる。
それで自分は安心安全というわけだ。

新聞社にも2つほど下の女に凄いのがいたな。
若い頃からずっと、同期の濁水と一緒になって人の噂ばかりして、人を一方的に決めつけていた。
私が支局から本社に戻ってくると、蟻川といつもひそひそ話をやっていた。
私もこれにやられたと思っている。

MS-DOSの本返せ2026/07/04


また、嫌なことを思い出した。
暇な方は読んで下さい。

1987年、30歳目前、文化部記者1年目。

この年、NECのPC-9801というパソコンが大ヒットし、近い将来きっと新聞社もコンピューター化されるに違いないということで、編集局に1台だけ入り、誰でも自由に触っていいということになった。

当時のパソコンはMS-DOSの知識がないと動かせなかったので、私は書店でやっと見つけたMS-DOSの愉しく分かりやすい解説本を片手にPC-9801を仕事の合間にいじっていた。
すると先輩記者がやって来て、ちょっと俺にもやらせろ、しばらくすると上手くいかないのでパチっと電源ボタンを押して切ってしまう。おいおい、コンピューターってのは終了してからじゃないと電源切っちゃいけないんだぞ(と心の中)。まだそんな時代だった。

そんな私の得難い本、片時も離せないので、机の上のブックエンドに立てかけていた。
そんなある日、私の本が消えていた。
焦っていると、別の先輩が「あの本は借りたでね」と言う。
なんと人の机から黙って持っていったというのだ。

おそらく宿直の夜(若い記者は月2〜3度、中堅は月1度回ってきた)、誰もいない編集局を人の机を物色して回っているのだろう。 そのこと自体、大問題だ。

そして覗き見るだけじゃなく、本を持ち去ったというのだ。
大事にしているからこそ自分の目の前の手の届く所に置いていたものを!

私は絶望的なショックを受けた。というのもその先輩は傲岸不遜な性格上、返さないなと思ったからだ。
毎日首っ引きで使っている本である。
当時はネットもなく、書店を回って見つけた、MS-DOSなんていう厄介なものを面白く学べる、とてもユニークで面白い本だった。無くしたからと言ってまた簡単に注文できる時代ではなかった。
2、3日でも手放すと困る本を、机の上に置いていたのは迂闊だったが、まさか社内で盗難に遭うなんて思ってもいなかった。

案の定、本は返ってこなかった。
結果的には泥棒である。
私のパソコン研究も頓挫した。

これがこの先輩、汚元との因縁の始まりである。

今急冷市長と拾田社長が枕崎支局長を私から毛脇に代えようと企んで、私に嫌がらせさせたのがこの汚元なのだ。

私は平成6年(1994)4月から9年3月まで枕崎支局長。
地域の話題を掲載する地方面は本社の地域報道部が担当するが、事件事故というシビアなニュースは社会部が担当する。
平成6、7年度は汚元社会部長、蟻川社会部デスク、8年度は汚元編集局次長という最悪の布陣だった(蟻川は文化部へ)。
当時「3K」という言葉が流行ったが、汚元を加えて「4K」と言われた。
その一例が「ほぜどん事件」だ(2017/08/23付の本ブログ)。
支局1年目は田舎暮らしも悪くないもんだと楽しくやっていたが、2年目からは社会部の嫌がらせ(今で言うハラスメント)が続いてそうなると田舎の嫌な面が目につくようになり、真剣に死を考えるほど気持ちが塞ぎ込んでしまったのをよく覚えている。

冒頭引用した西和彦氏は次のXでこう書いている。

年を取ると、思い出す半分は
昔の積み残しのことです
死ぬまでにけじめを付けたいことばかりです

全くだ。

大スキャンダル⑥2026/07/07

私は吉松議員の足元にも及ばないが、やはりやられた方は決してその仕打ちを忘れることはない。

私が枕崎支局で苦しんでいる間、本社は社屋移転に向けて、とんでもないことを次々に決めていた。
これもスキャンダルの匂いプンプンだ。

これについては本ブログを読んでいただいてもいいが、『現代鹿児島小説大系2』(ジャプラン、2014年)に「取材ノートのマンモス」というエンタメ小説にしているのでぜひ読んでいただきたい!!
エンタメですが、かなり事実をえぐってます。
鹿児島の方だったら図書館にあります。

※ところで、Xで吉松もとあき議員と相互フォローになっているのだが、きっかけは覚えていない^^;

大スキャンダル⑦2026/07/10


またまた嫌なことを思い出した。
例によって暇な方は読んで下さい。

文化部デスクの時、部長が父親が入院して容態が悪いらしく、1か月以上も職場に出てこなかった。
その間、仕事を任せきりにしている私に様子を心配する電話の1本もなかった。
1人息子で付きっきりでいなければならないわけでもなかった。
新聞社には兄もいた。交代で看て、職場に数時間でも出てくればいいのだ。
ところが1か月以上、顔も見せなかった。
そしてお父さんは亡くなったが、葬式に出た私に「迷惑かけたね」の一言もなかった。

大体このOh.NO!部長、最初の打ち合わせで、部長ってこんなにやることがあるんだよと我々デスク2人に前任の部長からの引き継ぎ事項を見せるので、内心「あそう、頑張れよ」と思ったら、そんな紙を見せたのは実は我々に仕事を回したいという企みがあったのだ。

毎年春と秋に短歌と俳句それぞれ、本社主催の大会があって、文化部長が挨拶しなければならない。つまり年4回だ。
それを私に代わってくれというので、きっとやむを得ない用事があるんだろうと引き受けた。
ところがそれが毎回なのでおかしいと思ったら、大会は日曜日なのでゴルフをしているのだった。
デスクというのは毎日出稿作業で忙しいのに、貴重な休みまで部長の代理をしろとは。しかも自分の遊びのために。

自分の親が危篤だからと長く休みを取ったのは、他に1人しか知らない。
同期が同じ編集部デスクをしている時に、危篤だと言っては急に休むというのが2か月くらい続いた。
夜勤のローテーションだったので、非番・公休のデスクに部長から出てくれんかと電話があって出ていくことになる。出ていく方は休みが潰れて連勤になるので当然きつい。
1、2度ならともかく何度も続くと負担は大きい。

ちなみに私は父親が危篤を繰り返していた時、やはり編集部デスクだったが、とにかくギリギリまでは人に代打を頼むまいと思っていたら、とうとう仕事中に父は亡くなってしまい、死に目に会えなかった。
正直者が馬鹿を見る世の中である。

万世一系――崇徳院を諌めた西行2026/07/10

皇室典範改正論議で、皇族の養子となった男系男子の子供が皇位継承権を持つことを問題視する愚か者がいる。
そもそもそれが目的の改正なのだから、バカすぎてどうしようもない。

そういう輩のことを上田秋成は『雨月物語』の中で、「末の世に神孫を奪ふて罪なしといふ敵(あた)」と言っている。

『雨月物語』の第一話「白峯」だ。
皇位継承への不満から後白河天皇に対して保元の乱を起こし、敗れて讃岐に流された崇徳院に対して、西行(歌人で法師)が説き伏せる言葉が素晴らしい。

我国は天照すおほん神の開闢(はつくに)しろしめしゝより、日嗣(ひつぎ)の大王(きみ)絶る事なきを、かく口賢しきをしへ(注=孟子の言う易姓革命)を伝へなば、末の世に神孫を奪ふて罪なしといふ敵も出べしと、八百よろづの神の悪(にく)ませ給ふて、神風を起して船を覆し給ふと聞(きく)。

『孟子』を積んだ船は必ず暴風に遭って沈没した。そのために『孟子』だけは日本に伝わらなかったという。『孟子』の言う、易姓革命や湯武放伐の考え方はそれほど日本とは相容れないものなのだ。
現代で言えば、共産主義者や左翼リベラルたちの主義主張は全く日本の国体にそぐわず、日本から排除すべき連中だということだ。

女性皇族の婚姻後は、皇族と国民との中間的な存在2026/07/17

今日成立した新皇室典範で「女性皇族が結婚後も皇族身分を保持する」は確かに保守派には危険に見える。

しかしながら、「婚姻後の女性皇族は一般皇族と異なり、住民基本台帳に記録される」という規定がある。
皇族なのに一般国民と同じ?
不思議な身分があったものだ。
こんな不安定な扱いはもちろんこの方限り(一代限り)ということだろう。
つまり、この方の配偶者や子が皇族とならないよう、ちゃんと楔を打ち込んでいるのだ!そう解釈したい。
この規定をこっそり?潜ませた人はグッジョブだ。

これを新聞掲載の皇室典範改正全文で確認しようとしたが、削除や挿入ばかり書いてあって改正後の条文になってないから検討しようがなかった。

産経さん、皇室典範改正の解説を連載でお願いします。

軽薄の人2026/07/20

『雨月物語』の第2話「菊花の約(ちぎり)」に、「交わりは軽薄の人と結ぶなかれ。軽薄の人は交わりやすくして亦速やかなり」とあるが、全くそのとおりだ。

安易に軽薄の人とばかり付き合っていると、一生の悔いが残る。
他山の石としてほしい。
   ↓
https://restart.asablo.jp/blog/2022/11/13/9540774

来週は母の命日、墓参りに行こう。
墓前では不孝を詫びるばかりだ。