羽白熊鷲は天狗か2023/02/01

話は前後するが、神功皇后は夫の仲哀天皇が橿日宮(福岡市)で崩御した後、新羅征伐の前にまず荷持田村(のとりたのふれ、現朝倉市秋月野鳥)にいた羽白熊鷲(はじろくまわし)を討つ。

羽白熊鷲については11/22、12/13、1/19で鳥人か鳥装した司祭かと考察してきた。

この羽白熊鷲の塚が朝倉市矢野竹の「あまぎ水の文化村」内にあるというので昨日行ってみた。
家から近いのだが、延び延びになっていた。

ところが、家から近いとはいえ、なかなかの山の中である。
寺内ダムというダムまである。

山中を車で上がるうちに、なるほどここならクマワシもいそうだわいと思った。

さらに、羽白熊鷲は天狗の元祖のような人物ではなかったかという気がしてきた。
日本人には飛翔する者に対する畏怖がある。
羽白熊鷲は「その人となりは強健で、翼がありよく高く飛ぶことができる」(宇治谷孟訳『日本書紀』)。
やはりある程度の飛翔能力はあったのではないか。

あまぎ水の文化村はかなりの広さを誇る施設のようだが、誰一人客がいない。
しかし幸い、それほどさ迷うことなく、目指す塚は中心施設「せせらぎ館」の前にあった。

もちろん当時できた塚ではない。
案内板にあるように郷土の人物を顕彰するために平成14年に造られたものだ。

しかし、羽白熊鷲は神功皇后に殺される。
それは「皇命に従わず常に人民を掠めている」からだ。

「人を掠めている」とは、人さらいのことだろうか。

柳田国男は『山の人生』の中で天狗について数多く言及している。
その中で特に目を引いた一節――鷲が出てくる!――を紹介したい。

「例えば天狗さまがさらって行くということは、ことに児童少年については近世に入ってから、甚だ頻繁に風説せられるようになったけれども、中世以前には東大寺の良弁(ろうべん)僧正のように、鷲に取られたという話の方が遙かに多く、その中にもまた稀には命を助かって慈悲の手に育てられ、ついには親の家へ戻ってきた者さえあるように、『今昔物語』などには語り伝えている。それから引続いてまた世上一般に、鬼が人間の子女を盗んで行くものと、思っていた時代もあったのである。」

甘木歴史資料館の小田和利氏によると、『筑前国続風土記拾遺』では羽白熊鷲は「鬼」と記されているという。

天狗―鷲―鬼がつながる。

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