西郷隆盛を一次史料で浮き彫りにする ― 2017/12/30
今月出たばかりの川道麟太郎「西郷隆盛」(ちくま新書)。
「手紙で読むその実像」との副題に、「やられた!」と思った。
西郷隆盛に関する本はゴマンとあるが、この手がまだ残っていたかという意味で、だ。
著者は、西郷や関係者が当時書いた手紙や日記という一次史料をもとにして西郷隆盛を年代順にとらえ直していく。
二次史料(歴史書や人物伝など)を全く使わないわけではないが、極力避ける。
西郷が間違って語られる最大の原因は、歴史家が一次史料と二次史料をないまぜ(チャンポン)にして使うことにある、と考えるからだ。
このブログで海音寺潮五郎の博覧強記を書いてきたが、言われてみれば確かに、海音寺も一次史料と二次史料をチャンポンにして使っている。
一次史料はいわば生の声だから重要なのは素人にもわかる。
ところが、歴史書は先人の業績を大切にするから、意外と二次史料の検証に重点がかかる。
それを排して一次史料を頼みにして人物をとらえ直してみると、何が起こるか。
小気味いいほど、通説や有力説がどんどん覆されていくのだ。
一次史料とは「コロンブスの卵」だったのか!「打ち出の小槌」といってもいい。
驚くべきことに著者は「大西郷全集」や「西郷隆盛全集」といった基礎資料にまで疑いの目を向ける。
よほど眼光紙背に徹しなければ、こんなことは書けない。
明治6年の征韓論争で、西郷は征韓ではなく平和的交渉を考えていたという毛利敏彦説も否定される。
一番面白かったのは、司馬遼太郎批判だ。
しかも、私も先日取り上げた「翔ぶが如く」だ。
著者は、大久保利通と岩倉具視が宮中工作の「秘策」で、西郷の朝鮮使節派遣決定をひっくり返す過程を証明する。
西郷は二人を「君側の奸」として憎みながら去って行ったはずだという。
ところが、司馬は西郷が鹿児島に帰る前に大久保を訪ねて暇乞いをしたと書いているのだ。
それは西郷が「ただ大久保と岩倉をのみ信頼し、この両人が政府にあるかぎり、妙な国家になることはあるまいとおもっていた」からだという。
著者は「司馬は作家であるからフィクションを書くことに問題はない」としながらも、「こういう敷衍の仕方は、やはり好ましくない。事実を歪め、人々から史や現実を直視する目を奪う」と痛烈に批判する。
私も書いたが、司馬の描き方は思いつきみたいな軽いものが多い。
例えば、徳川慶喜を歴代将軍の中で最も優秀だったと絶賛しているが、歴史を追ってもとてもそうは思えない。
司馬のような思いつきで創作を混ぜ込む適当な小説をどうして好む人が多いのか、不思議で仕方がない。百害あって一利なし、時間の無駄でしかないと思うのだが。
本書は新書版で500ページ余り。読みごたえがあった。新たなスタンダードになる予感。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://restart.asablo.jp/blog/2017/12/30/8758454/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。