天皇親政について考える2017/12/18


海音寺潮五郎『江戸開城』の冒頭、「革命の血の祭壇」の章で、海音寺は非常に興味深い維新史観を開陳している。(太字は引用部分)

「明治維新は王政復古という名で行われたが、実は復古ではなかった」「日本人は長い間日本の本来の政治形態は天皇親政であったと考えて来たが、実はそうではなかったのではないか」というのである。

大化の改新や建武の中興という天皇親政時代はあった。
しかし、日本の歴史を千九百余年とすると、天皇親政の期間は二百八十年くらいしかない。
つまり七分の一しか親政期間はなかった。

天皇親政が日本固有の姿であったと考えるより、天皇は宗教的な最高の象徴的存在で、政治にはタッチされず、政治の主宰者は別にいるのが、日本の固有の姿であった。だからこそ、摂関政治がはじまるのにも、幕府政治がはじまるのにも、ほとんど抵抗らしい抵抗がなくしておちつき、長くつづきもしたのだと考える方が納得出来るのである。

幕末・維新頃の人は、昔からの識者の言ったことを真向正直に聞いて、天皇親政は日本古代の固有の政治形態だったと信じ込んでいたから、幕府政治を廃して、政権を朝廷が持つようになったことを、王政復古と信じたのであるが、実は復古ではなく新しい政治形態をはじめることだったのである。つまり、革命だったのである。

実に面白い。

われわれはこうして誕生した明治天皇は、天皇親政という絶対的な権力を持っていたイメージがある。
ところが、大日本帝国憲法の下、やはり政治の主宰者は天皇とは別にいるという歴史の伝統通りに落ち着いているのだ(ここは海音寺に導かれた私見)。

それを次回、戦時下の昭和天皇の姿によって考えたい。

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