大宰府の観世音寺の近くに、写真のように「旧小字 御所ノ内」という碑がある。
「御所」というからには天皇が住んでいたはずだ。
2019年10月26日、大宰府での町歩きで知ったものだが、残念ながらそこははっきりしないらしい。
④で斉明天皇はどうして大宰府に来なかったのかと書いたが、実はここにしばらくいたのかもしれない。
仲哀天皇や神功皇后の頃はまだ大宰府政庁はない。
可能性があるのは斉明天皇と、その息子の天智天皇だ。
天智天皇は白村江の戦いに向かう時、あるいは敗れて帰ってきた時に太宰府にいた可能性がある。
専門家はきっともう突き止めているだろう。教えてもらいたいものだ。
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