上の写真をクリックすれば十分な大きさに拡大されるので、よ~く「平原王墓主体部復元模型」を見てほしい。
確かに、柱穴はある。
でも、説明がないと分からないよー
広瀬和雄氏によると、これらの柱穴によって「妻側の外方の二カ所に独立棟持柱をそなえた掘立柱建物」が「すっぽりと墓壙上面をカバーするように建てられて」いたことが分かるという。
そして独立棟持柱建物は、普通の掘立柱建物とは違って、「カミが住まいした神殿である」というのだ。
このあたりの広瀬氏の論には飛躍もあり、ちょっと分かりにくい。
そこで伊都国歴史博物館のパンフレットを探り出して見てみると、思いがけない出土物を見つけた。
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