乳房ん古墳③2022/12/02

チブサン古墳の墳丘のくびれ部には、凝灰岩製の石人(高さ1.5m)が立てられていたという。

それが九州国立博物館4F文化交流室に展示されている。

今回、熊本県北部の菊池川流域の古墳を訪ねて、驚き、意外だったのは石人の存在だった。

石人といえば、福岡・八女の岩戸山古墳の専売特許のように言われている。

ところが実はもっと広範囲なのだ。

これは福岡と熊本の両県に分かれていて、福岡側は熊本の石人については積極的に宣伝しないというか、だんまりを決め込んでいるせいではないか。
縄張り意識はやめてくれよー

乳房ん古墳②2022/12/02

これは古墳の一段下の場所に屋外展示してあるレプリカである。

左側の2つの同心円文が女性の乳房のように見えるから、江戸時代には母乳の出が良くなるように古墳に甘酒をお供えしたとか。
まあ、私には2つの目玉とその下の逆三角形が口で、ユーモラスな顔のように見えるが…。

また、右側壁には王冠のような物をかぶり両手を広げた、これまた興味深い人物像がある。
11月19日付で紹介した田代太田古墳と同じ日下八光氏による模写が、入れ代わりに1月17日から展示される予定だ。
楽しみだ。

乳房ん古墳①2022/12/02

はじめチブサン古墳と聞いたときは、いかにも音からして、半島系の古墳か、嫌だなあと思った。

ところが、乳房の古墳だと知って安心。行く気になった。
何しろ装飾古墳の中でもチョー有名な古墳である。

そもそもの目的は熊本県北部の菊池川流域5地区でやっている「古代の森」カード集めである。

私は福岡では今年7月から九州古墳カード集めに着手したが、「九州」古墳カードと言いながらまだ福岡しかないので、熊本の古代の森カードにも手を伸ばすことにしたのだ。

山鹿地区受付の山鹿市立博物館を訪ねると、なんとチブサン古墳の石室公開は毎週土日と祝日にやっているという。
あんな有名な装飾古墳を毎週公開しているとは!

その日11月29日は平日だったので、また来なくちゃいけないじゃないか。

ともあれカード貰いのための証拠写真を撮りに行く。
正直、チブサン古墳の墳丘自体には何も期待していなかった。
あの目ん玉のような乳房のような装飾ばかりが有名で、古墳そのものの話など聞いたことはなかったからだ。

ところが、ところが。
行ってびっくりである。

美しい!

こんなきれいな前方後円墳は初めてだ。

写真ではあまり分からないだろうが、ほんとに素晴らしい。

双脚輪状文2022/12/01

装飾古墳の文様で一番好きなのが双脚輪状文だ。

そう考える人は多いらしく、熊本県立装飾古墳館では平成27年(2015)度に「双脚輪状文の交流」展をやっている。

双脚輪状文は珍しい文様で、全国にある660基の装飾古墳のうち、北部九州の5古墳にしか見られない。

この企画展では5古墳の中に佐賀県鳥栖市の田代太田古墳を入れているのがうれしい。

というのは、柳沢一男『装飾古墳ガイドブック――九州の装飾古墳』では、田代太田古墳の文様を類型として扱っているからだ。

輪状部の上端を描いていないため、高坏形ではないかという。

しかし、11月19日付の写真を拡大して右手にある文様をよく見てほしい。
明らかに双脚輪状文である。

江田船山古墳の大刀銘文2022/11/30

古代史の大きな不思議は、日本人がなかなか漢字を使おうとしなかったことだ。

紀元前3世紀頃には中国から青銅鏡がもたらされ、日本人はそこに記された漢字の存在を知った。
すぐに日本人も青銅鏡を作り始め、そこには漢字も記されているが、それは一種のデザインとしての受容であり、漢字を使うようになったとは言えない。

その証拠に、日本独自の銅鐸や銅剣、銅矛には一切、文字(漢字)がない。

それから数百年、紀元後3世紀の魏志倭人伝の時代になると、卑弥呼が魏の皇帝から「親魏倭王」に任ずる詔書をもらっているから、当然、漢字を読める人間はいただろう。
返書もしたはずだが、それらは一切、残っていない。

ようやく、日本人が漢字を使ったものが出てくるのは5世紀後半である。

江田船山古墳(熊本県和水町)出土の大刀に漢字75文字が象嵌されていた。
「日本最古の本格的記録文書のひとつ」ということになる。

治天下獲□□□鹵大王世奉□典曹人名无□弖
八月中用大錡釜并四尺廷刀八十練六十□
三寸上好□服此刀者長寿子孫注々
得三恩也不失其所統作刀者名伊太□書者張安也

天の下を治(しろしめ)す獲加多支鹵(わかたける)大王の世事(つか)え奉る典曹人名は无利弖(むりて)。
八月中、大錡釜并びに四尺廷刀を用い、八十練せる六十捃三寸の上好の刀なり。此の刀を服せる者は長寿にして子孫注々三恩を得る也。其の統ぶる所を失わず。刀を作る者名は伊太和(いたわ)、書ける者は張安也。

ここから古墳の被葬者はムリテであり、刀を作ったのはイタワ、銘文を書いたのが張安だと分かる。

これが普通だろう。
墓を作ったら被葬者の名を記す。
後世に残るような立派な物を作れば作者の名を残す。

ところが、この後の6世紀の装飾古墳にも被葬者の名前はない。
とっくに漢字を使いこなす人々がいたにもかかわらず。

意地でも漢字を使いたくない理由があったのだ。
そこに装飾文様の秘密が隠されているに違いない。

防災工事しない行政2020/07/07

毎年毎年似たような場所で水害が起こって人が死ぬ。
だんだん腹が立ってきた。
素人の思いつきだが、ご容赦を。

東京はどんな豪雨でも誰一人死なない。
なぜか。
地下に巨大な貯水槽や水路をいくつもいくつも造っているからだ。
私もあの有名な、地下神殿みたいな施設を見学したことがある。

大雨対策はつまるところ、降った雨を流す、それしかないのだ。
排水に尽きる。

熊本県政のことはよく知らないが、今の蒲島知事が人吉の川辺川ダムを中止したという。
百歩譲って、ダムは放流時に危険があるので中止はまだよしとしよう。
しかし、蒲島知事が川辺川ダムの代わりにどんな水害対策をしたのかというと、何もやっていないらしい。
これでは、反原発じゃないけど、反ダムの風潮に乗って格好つけただけとしか言いようがない。
今回の水害に対する責任は大きい。

また、例えば鹿児島市。
今、鹿児島市立病院の広々とした跡地を公園にしようと工事しているが、そこはかつて8・6大水害を引き起こした甲突川の横。
この機会に地下に貯水タンクは造ってるの?
もし造っているのならゴメンだが。

久しぶりに「西郷どん」を見た2018/11/12

残り放送回も少なくなって時間がないのだろう、〝おふざけ〟がなくなった。
ちょっと、ほっとした。
久しぶりに腹を立てずに見られた。