江田船山古墳出土の銅鏡2022/12/17

森浩一「日本の文字文化を銅鏡にさぐる」(『日本の古代別巻 日本人とは何か』所収)を読んでいたら、「四夷服多賀国家」という銘文が特徴の銅鏡があって、その一つが熊本の江田船山古墳から出土しているという。

銅鏡の銘文は、所有者の地位や富といった現世利益を願うものが定番なのだが、これは「四方の夷狄が服し、多(大)いに国家を賀す」という国の願いを表わしたものだ。

しかも、どうやら12/3付「江田船山古墳②」で取り上げた「神人車馬画像鏡」がその鏡らしい。
やはりあの鏡はただものではなかった。私のインスピレーションもなかなかのものだ。

正確な銘文を記したいが、検索してもなかなかそのものズバリが見つからないので、いろいろ総合して推し量るとこうだ。

公戚氏作竟四夷服 多賀国家人民息 胡慮殄滅天下復 風雨時節五穀豊…

森浩一氏によると、「四夷服」の銘文を持つ鏡は4世紀以来、日本にあったが、それが倭の五王の時代(5世紀)になってより好まれるようになり、ひいては478年に倭王武(雄略天皇)が宋の順帝に送った上表文「東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平らぐること九十五国、王道融泰にして…」に影響を与えたのではないかという。

江田船山古墳の被葬者ムリテはワカタケル大王(雄略天皇)の従者だった(11/30、12/10、12/14付参照)。
「四夷服」銘の銅鏡を副葬したのは銀象嵌銘大刀同様、雄略天皇への死後までの忠誠であったのだ。

「治天下大王」は中国からの脱却2022/12/14

熊本・江田船山古墳の銀象嵌鉄刀(11/30、12/10参照)と埼玉・稲荷山古墳の金象嵌鉄剣の「治天下」銘について、広瀬和雄『前方後円墳の世界』に目から鱗の解釈がなされているので紹介したい。

「ワカタケル大王のときには東国に杖刀人(じょうとうじん、武官)、西国に典曹人など、中央に上番(勤務)した地方首長がいたことが確実となりました。それらに刻まれた『治天下大王』は、五世紀をつうじて朝貢した中国王朝からの脱却をはかろうとした、倭王の新しい天下観をあらわすものでした」

のちに聖徳太子が隋の皇帝に、日出ずるところの天子、日没するところの天子に申すと親書で宣言したのと同様の精神だ。

紀元前から中国鏡を通じて漢字の存在を知りながら、意地でも漢字を使おうとしなかった日本人が、5世紀後半になってやっと初めて本格的に漢字の文章を綴ったら、「治天下大王」の宣言だったわけだ。実に愉快ではないか。

「弖」の字2022/12/10

森浩一『記紀の考古学』(朝日文庫)p.319に、ワカタケル(のちの雄略天皇)が市辺王を狩りに誘って射殺する事件を取り上げている。

その際、ワカタケルの従者が市辺王を「宇多弖物云王子」と評して用心するよう申し上げている。

ここは普通の本だと「うたて物云ふ王子ぞ」と平仮名にしている。
森浩一さんは「困ったことをいうの意味だ」としているが、「大変なこと」(岩波文庫)のほうがよさそうだ。
いずれにしろ、森さんが原文に当たっていることが分かる。

すなわち、「弖は、発音はテ、古代の日本では多用されていて、倭字(国字)の一つとみてよかろう」と、「弖」の字を特に取り上げている。

そして、埼玉稲荷山古墳鉄剣銘文の中の人名2人に「弖」の字が使われていることを挙げているが、なぜか江田船山古墳の銀象嵌銘大刀のことが触れられていないので、ここに記しておきたい。

11/30付に書いた「无利弖(むりて)」である。

江田船山古墳⑤2022/12/03

階段を上がると、造り出しがあり、さらにもう一つの階段を上がると、石室を覆う建屋があった。

ドアに近づくと、なんと自由に見学していいらしい!

恐る恐るドアを開けると、ちょうど石室の修復作業(熊本地震の被害による)をしている人がいた。

感激だ。

やはり博物館とかではなく、ありのままのあった場所で見る石室は感激が違う。

今回、一泊二日で古墳巡りし、古代の森カード8枚、マンホールカード1枚(和水町の石人)、古墳カード1枚を集めた。

結局たどり着けない、見つからない古墳もあり、楽しいことばかりではなかったが、三つの感激があった。

一つ目はチブサン古墳の墳丘の美しさ。
二番目がこの江田船山古墳の石室を現地・現場で見たこと。

そして三つ目は帰りに福岡県大牟田市に寄ってのことである。

江田船山古墳④2022/12/03

さて、階段を上がった先には何があるのだろう。

江田船山古墳③2022/12/03

さて、いよいよ江田船山古墳である。

5世紀後半に造られた墳長62mの前方後円墳だ。

濠の周りを歩いていると、うう、濠に下りたい、古墳に登りたい、という衝動が沸いてくる。

すると、なんと階段がある。登っていいのだ!(続く)


ところで、いただいた古代の森カードによると、銀象嵌銘大刀の年代は5世紀後半~6世紀初頭と書いてある。

ということは古墳ができて、だいぶ経ってから埋葬された可能性もあるってこと?
謎だなあ。

江田船山古墳②2022/12/03

11/30付に続く、江田船山古墳出土品第二弾である。

これらは肥後民家村の中にある、意外に小さな和水町歴史民俗資料館に展示してあるレプリカである。
本物は東京国立博物館にある。

お目当ての銀象嵌銘大刀以外に、おっ?と目にとまったのは、この鏡である。
こんな鏡見たことない。

神人車馬画像鏡と堅苦しい名前が付けられているが、実にユニークなデザインだ。

中国鏡に飽き足りない日本人が、いかにも日本人らしい独創性を発揮して諧謔味のある鏡を作ってみたのではないかと思うが、どうだろう。

説明が何もなく、同館は無人なので本当のところは分からない。