巴形銅器・筒形銅器ふたたび2023/02/09

2/3の続きである。

もう33年も前の1990年に、森浩一さんが、金海市の大成洞古墳群から出た筒形銅器と巴形銅器に言及している(『魂の考古学』)。

かなり詳しく、分かりやすく説明されているので引用したい。

「巴形銅器は、吉野ケ里遺跡からも鋳型が出土している(※これは行って要チェックだ)ように、弥生時代に北部九州で南島産の水字貝をもとにして、それを銅で模作したものがしだいに発達し、古墳時代前期末まで存続する流行期間の長い遺物であり、大阪府の和泉黄金塚古墳での出土状態から呪具として楯に着装する場合のあることは知られている」

「筒形銅器は、弥生時代の青銅製品にはなく、古墳前期に主として日本の前方後円墳に副葬される遺物である。ときには槍の柄の先端(石突)や短剣の柄に用いられ、あるいは内部に小石などを入れて鈴のたぐいとして使った例もある」

この年出土したばかりだったので、これらは「平和な時代における朝鮮半島と日本列島との密接な交渉を物語る考古学資料とみてよかろう」と、森さんの結論も当たり障りのないものだ。

しかし、2/3に書いたように、これらは日本と加耶との政治・軍事同盟を示唆するものといわれている。

私は神功皇后による加耶の平定を証明するものだと思っている。

森浩一さんは『日本神話の考古学』『記紀の考古学』という名著を残している。
亡くなって10年、反動として考古学者たちは再び記紀の軽視に後戻りしているのではないかと危惧する。

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